横浜発!日本のイイとこ全部見せます!日本に生まれてよかったfromざんぎりヘッド

「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」。日本は最近元気がないけど、捨てたもんじゃないぜ!「日本人でよかった」と心から思える・誇れる豆知識を仕入れてお届けします!明日からはあなたの頭も文明開化の音がするかも!?

浜松再びFinal!井伊直虎亡き後、彦根藩樹立までの流れを見てみよう。

2018年の大河ドラマ「西郷どん」は、字幕が必要なくらい薩摩弁が独特ということで、歴史ファンならずとも注目されています。

西南戦争で亡くなるまでをおそらく取り上げるんでしょうが、当ブログではあえて昨年の大河ドラマの舞台・浜松の最終章をお届けしたいと思います。

 

近代日本の礎を築くきっかけとなった徳川四天王の1人・井伊家。

直虎亡き後、井伊家がどのように江戸時代まで生き抜いてきたのか、さっそく見ていきましょう。

 

井伊家といえば武田の赤備えを引き継いだ直政、幕末の安政の大獄などで吉田松陰を獄死させたあげく、桜田門外の変で殺害されることになる大老・井伊直弼が浮かぶわけですが、今回は井伊家の祖といえる直政から見て行きたいと思います。

 

直虎から井伊家再興の願いを託され、若くして戦国の世に登場した井伊直政。

徳川四天王の筆頭として実直に家康に仕え、天下統一の一助となった勇将です。

 

直政は天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いなどで武功を挙げ、「井伊の赤鬼」と恐れられるようになります。

6年後の小田原の陣では、難攻不落と目された小田原城内に攻め込んだ唯一の武装としてその名を轟かせました。

 

1600年の関が原の戦いでは東軍の中心的存在として勝利に貢献。

こうしてみると、高い戦闘力が評価されがちですが、諸大名との交渉、調略、統括などでも功績を残しており、家康が秀吉から関東移封を申し付けられたときに、館林で12万石という破格の知行を受けたことでも、家康の信頼の高さがうかがえます。

 

関が原の戦いの後は、その戦功により彦根藩を拝領。

直政の後を次いだ直孝も父に続き、大阪夏の陣で戦功を挙げ、5万石の加増を受けます。

従四位下・侍従に昇格し、3代将軍の家光の後見人としても期待され、家光、4代家綱を補佐したと伝えられています。

家光・家綱といえば、江戸時代の社会、制度が確立した時代であり、直孝の幕府への貢献度は非常に高かったといえます。

その後も井伊家は譜代大名の筆頭として活躍、大老、老中などの重責を担っていくことになります。

 

次回は幕末に日本開国への舵を切った井伊直弼についてみていきます。

次回もお楽しみに!