横浜発!日本のイイとこ全部見せます!日本に生まれてよかったfromざんぎりヘッド

「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」。日本は最近元気がないけど、捨てたもんじゃないぜ!「日本人でよかった」と心から思える・誇れる豆知識を仕入れてお届けします!明日からはあなたの頭も文明開化の音がするかも!?

日本とインド。戦後の日印関係はどうだったのか?

気づけば平成も最後となる一年も、半分近くが過ぎました。

 

あと2年ほどで訪れる2020年代はインドの時代ともいわれます。

その理由としてはシンプルで「インドの人口が中国を越えて世界一になる」から。

中国は一人っ子政策の影響から、日本人は少子高齢化と言われて特に劇的な変化が起きていないことからも、毎年人口は目減りしているわけですが、インドはこれから人口が増えていく中、中国とは日本以上に深刻な争いを続けていることから、衝突が避けられない背景もあり、パートナーとして日本を必要としています。

 

中国のあくなき野心ともいえる「海が欲しい」という概念は日露戦争のころのロシアの「不凍港」が欲しいという概念とはまた違った、ジャイアンのような欲望・渇望を感じます。

 

インドといえば親日のエピソードとして「インディラちゃん」がいます。

戦後、焼け野原となった日本の子供たちに喜んでもらおうと、インドが象のインディラをプレゼントしてくれた、という話は今の時代でも受け継ぐべき逸話です。

 

上野動物園へ、贈り主のジャワハルラール・ネルー首相が訪問し、娘と一緒にインディラにえさをやる姿も全国に報道されました。

そして、このインディラにえさを与えていた小さな娘こそ、後のインド初の女性首相となるインディラ・ガンジーでした。

 

そして日本史を学んだ方なら一度は聞いたことがあるであろうパール判事。

東京裁判は日本を裁くためだけに開かれたともいえる軍事裁判だったわけですが、唯一日本を擁護した判事がパール判事でした。

 

とはいうものの、日本とインドの関係は日本人が思っているほど当時は深くはなりませんでした。

原因は複数あり、戦時中に東南アジアに進駐していたこともありその修復に日本が注力していたこと、そして今でこそばりばりの反日国家になっていますが1980年くらいまでは、中国・韓国ともに知日派が多くいたこともあり、関係は今のようではなく、ASEAN諸国と中国、韓国を中心にアジア外交を繰り広げていたことがあげられています。

 

一方、インドはインドで自国産業の保護のために鎖国気味な政策を当時取っていたこともあり、日本ではスズキが自動車産業でちょっとだけ進出できた程度、そして今でこそ世界中当たり前に存在しているマクドナルドでさえ、インド初出店は1996年とまだ20年程度しか経っていないんです。

 

このころにはまだ中国の海洋への進出はそこまで騒がれておらず、ある意味東シナ海、南シナ海はアジア圏内でいえば平穏といえる時代です。

ベトナム戦争こそありましたが、制海権という意味では平和といえる時代でした。

 

では、インドと中国が南シナ海、日本と中国が東シナ海をめぐって緊迫してきたのはいつぐらいからなのか、はたまた対抗策はあるのか、といったお話は次回に譲ります。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました!