横浜発!日本のイイとこ全部見せます!日本に生まれてよかったfromざんぎりヘッド

「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」。日本は最近元気がないけど、捨てたもんじゃないぜ!「日本人でよかった」と心から思える・誇れる豆知識を仕入れてお届けします!明日からはあなたの頭も文明開化の音がするかも!?

君が代に見る日本人のアイデンティティとは?

今回で君が代メインのお話はいったん終了です。

というわけで、「やっと終わったよ」というあなたも、「えー、もう終わりかい?」というあなたも、ぜひお付き合いくださいね!

 

平安時代の日本には、いまの中国から韓国を通って音楽の文化などが入ってきました。日本史で習う渡来人ってやつですね。

楽器も西ヨーロッパから東に進むにつれて、素材や形状が変わり、シルクロードを通って中国に入ると、別な展開を見せ、朝鮮半島を渡って日本にやってきたのです。

 

しかし、現在は中国・韓国ともにその当時の音楽的文化はほとんど残っていないといえます。

宮内庁式部職楽部で、雅楽を専門にやる人たちが、むかしから延々と曲を繋いできている国は、たぶん日本以外にないでしょう。

 

しかし、明治維新のときに西洋の流れを取り入れようという動きが急になり、音楽ついては「音楽取調べ掛」というセクションができて、西洋音楽の良いものを取り入れようということになりました。

日本古来のものはちょっと脇において、西洋と肩を並べる国にしていこうという動きです。

富国強兵とともにスローガンとなっていた殖産興業に近いかもしれません。

 

そんな激動の時代に生まれたのが「君が代」なんですね。

幻となったフェントンの君が代は、旋律のリズムも単調で音域も普通の人には広すぎます。

またその後ろに西洋的な和音がすべてにおいてついていて、まるで賛美歌のようです。

 

当時の国民は、今の私たちとは状況が違い、西洋的な和音にまだまったくなれていません。

長唄を歌い、三味線をひいていた時代です。

三味線は基本的に和音をギターのようにジャラーンと鳴らす楽器ではありません。

歌のメロディをなぞりながら、ちょと違う音を入れていったりするもの。

そんな庶民にとっては、フェントンが作った君が代は異質なものでした。

 

結果的に、奥好義(おく よしいぎ)が作った君が代が当時の日本人に受け入れられた理由としては「やはり日本人が昔から慣れ親しんでいる音階を生かして作ろう」というバックボーンがあったからではないでしょうか。

 

次回は日本人の概念をぶちやぶる「世界の国歌」を日本語訳をつけてご紹介!

けっこうな量をストックしてますので複数回に分けてご紹介予定!

乞うご期待♪