前回は、浅田真央・舞・恭子さんの三つ子についてお話していきました。
今回は母の死を乗り越え、現役続行を決めるまでのプロセスについて見ていきます。
今回で「世界はマオに魅了される!」は最終回。
ぜひお付き合いください。
全日本選手権への出場を決めた浅田。
同じく大会前に母を亡くしたロシェットからも「気持ちは分かる」とメッセージ。
そして驚きなのが、国際スケート連盟のチンクアンタ会長が、弔意の手紙を日本スケート連盟の橋本聖子会長に送ったこと。
「国際連盟の会長が直接そういう行動をとるのは異例のこと。世界のみんなが浅田選手のことを心配している」と橋本さんは話していました。
そして全日本は見事優勝。
その目に涙はありませんでした。
そして2013年4月の世界国別対抗戦後、ソチ五輪シーズンでの現役引退の意向を示しました。
だが、ソチ五輪後は「ハーフ・ハーフ」と表現。
2014年3月の世界選手権では3度目の金メダルを獲得。
その後休養に入りました。
休学していた中京大学体育学部に復学し、スキューバダイビングの講習を受けました。これまでスケート靴をもたずに出かけたことは数えるほどしかなかったが、スーツケースにスケート靴を入れずに旅行にも行きました。
初めてといっていい息抜きの時間となったわけです。
浅田不在のスケート界には新星が現れており、2015年3月の世界選手権を制したロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワ。
同じ4月にはフリーでも大技に成功し、新時代の到来を告げました。
2015年5月。
1年ほどの休養を経て出した結論は「現役続行」。
「自分で決めたことなので責任を持ってやりたい。100%復帰するつもりでやっている」
ハーフ・ハーフだった揺らぎ、迷いは捨て去りました。
最後に、母・匡子さんが浅田に求めたスケーター像を記して終わりにしたいと思います。
「金メダルは獲ってほしいけど、それより、みんなに愛されるスケーターになってほしいのよ」
母の願いは、間違いなく現実になりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回からの新章をお楽しみに!