横浜発!日本のイイとこ全部見せます!日本に生まれてよかったfromざんぎりヘッド

「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」。日本は最近元気がないけど、捨てたもんじゃないぜ!「日本人でよかった」と心から思える・誇れる豆知識を仕入れてお届けします!明日からはあなたの頭も文明開化の音がするかも!?

周りは言った。「素人が何をやってるんだ!」母の指導はリンク外でも。浅田真央、5歳でスケートを開始。

今回は、浅田真央のデビューまでの軌跡を中心に見ていきます。

 

浅田は特に母・匡子さんの愛情を深く受けて育ちました。

姉の舞さんとともに5歳でスケートを開始。

最初のコーチは母でした。

 

競技経験がなかった匡子さんはトレーニングの専門書を手に娘を指導。

当然といいますか、外野はこういいます。

「素人がなにをやってるんだ!」と。

しかしそういう周囲の声にも屈せず、「三つ子みたい」といわれるほど3人はいつも一緒にいました。

 

浅田は取材の際、必ず質問者の方に体の向きを変え、質問者の目を見てコメントをしています。

取るに足らないことに思えるかもしれませんが、常に大勢のメディアに囲まれるスター選手としては異例ともいえる姿勢です。

 

浅田真央に対するリンク外の指導という話になりますが、こういったエピソードもあります。

・焼き魚を食べると、骨だけ残してきれいに食べる

・練習の際、鼻をかむときはティッシュを1枚ずつ取り、使用後はきれいにたたんで捨てる

・紙コップも無駄遣いはしない

 

これは「スケーターとして一流ならあとは二の次」という概念ではなく、リンク外の指導もしっかりされていた証左です。

 

ところが体調に不安を抱えていた匡子さんは2011年12月9日に、肝硬変のためになんと48歳の若さで亡くなってしまいます。

浅田はグランプリ・ファイナルのためにカナダに滞在していましたが、容態急変の知らせを受けて試合を欠場して帰国。

 

残念ながら成田空港に到着したとき、父・敏治さんからのメールで母の死を知ることになりました。

 

深い悲しみを抱えながらも二週間後の全日本選手権への出場を決断した浅田真央。

結果とその後はどうだったのか?

次回に続きます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。