横浜発!日本のイイとこ全部見せます!日本に生まれてよかったfromざんぎりヘッド

「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」。日本は最近元気がないけど、捨てたもんじゃないぜ!「日本人でよかった」と心から思える・誇れる豆知識を仕入れてお届けします!明日からはあなたの頭も文明開化の音がするかも!?

ウイスキー界のルパン3世?イギリスの政治家がうなった、竹鶴政孝の執念とは?

今日は日本のウイスキー黎明期についてみていきます。

 

『マッサン』をごらんになっていた方なら一度は聞きかじった話かもしれませんが、改めて日本のウイスキーがなぜスコッチのスタイルを踏襲しているのか、確認しておきましょう。

 

京都と大阪の境にある大山崎の地に、日本初の本格モルトウイスキー蒸溜所となるサントリー山崎蒸溜所が創業したのは1923年のこと。

創設者はサントリー社長であった鳥井信治郎。

技師として招かれたのが、本場スコットランドでウイスキー製造を学んだ竹鶴政孝でした。

 

当時の勤務先であった摂津酒造の技師であった竹鶴は1918年にスコットランドへ留学し、スペイサイドのロングモーン蒸溜所や、当時スコッチの一大産地であったへーゼルバーン蒸溜所でウイスキー実習を学びました。

その後、竹鶴は1920年に生涯の伴侶となるリタを伴って日本に戻るも、摂津酒造では財政悪化により国産ウイスキー製造計画が頓挫。

ちょうどこのころ、甘味果実酒である「赤玉ポートワイン」の大ヒットを受け、日本での本格ウイスキー造りを夢見たのが鳥井信治郎だったのです。

 

『マッサン』では「鴨居ウイスキー」という名前に変わってはいますが、当時の「白札」は国産第一号ウイスキー。

エピソードどおり、当時の日本人にはスモーキーさが嫌われ不評でした。

 

そんな竹鶴政孝ですが、後にこのような賛辞を贈られることになります。

 

「50年前、ひとりの頭のよい日本青年がやってきて、一本の万年筆とノートで英国のドル箱であるウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」と。

当時の英国副首相であったヒュームからのことばです。

 

次回は「海外が絶賛している国際コンペティション入賞の日本のウイスキーたち」をご紹介します。

サラリーマン家庭でも普通に手が出せる金額でハイクオリティのウイスキーが飲めるので、知らなかった銘柄もぜひ注目してみてくださいね!